とあるアンケートで、将来の最大の関心事として、すべての世代で第一位に上がっていたのが、「健康」でした。
おそらく、多くの人が納得する結果だろうと思います。
何をするにも、健康でなければなかなか思い切った活動が出来ません。
けれども一方で、完全に健康な人は、実際にはほとんどいないはずです。
何より人間は年齢を重ねることで老いていくので、老化による免疫力や代謝力、筋力の低下は、誰も避けられないものです。それに伴って、病気にかかることも多々あります。
そのようなことを考慮した上で、ここで一度、「建築の力で、病気は治るか」とストレートに問いを立ててみました。

結論から言えば、建築の力で、病気を治すことは可能です。少なくとも私は建築の専門家の一人として、そう確信しています。
もちろん、建築が万能というわけではありませんし、すべての病気を治すことはできません。
けれども、環境や空間の力によって人々の心を晴れやかにし、ストレスを低減させ、居心地の良い場所にいることによって癒しをもたらしてくれることも確かです。
実際に私は、以前、設計させていただいた2世帯住宅で、こんなことがありました。
奥様のご両親と同居するというご要望での設計でしたが、そのときすでに、奥様のお母様が癌にかかられており、余命数ヶ月ということでした。
ところが、私が設計させていただいた住宅が晴れて完成し、そちらに引っ越されたところ、しばらくして、そのお母様の癌が治ったのです。これは本当のことです。
もちろん、新しい住宅に引っ越したことだけが、癌の治癒した直接的な原因かどうかは一概に言えません。けれども、それがきっかけの一つになったことは、どうやら確かなようでした。

建築の力で、病気を治し、人々を癒し、体を根本的なところから治癒すること。
それは実は、建築が持っている、きわめて大きな可能性であり、力であると思います。
風が抜け、光が充ち、人々の心と体を根本から解きほぐしていくような、そんな空間を作れたら、建築の設計に携わる者として、これ以上のことはありません。
「センス・オブ・ジョイ」(喜びの感覚)ということを、アメリカの建築家であるルイス・カーンが、かつて繰り返し言っていましたが、誰もが日々の生活において、いろいろな事情を抱えている中で、毎日触れ、接する空間が、豊かであることは、傷ついた体や心を癒し、治癒して行く上で、とても大きな要素に違いありません。
それは、自然治癒力による療法や、漢方薬のように、すぐには劇的に効果が出ないものの、じわじわとじっくり、しかし確実に、人々を良い方向へと導いてゆくのだと思います。

8月の半ばに、東京スカイツリーが見えるレストランで、関係者のみなさんとともに納涼会を開きました。
「シエロイリオ」という、隅田川沿いのビルを改修して作られたカフェ・レストランです。そこから見える、ほのかに光るスカイツリーがなかなか風流で、夏の夜を楽しむには良いところでした。
スカイツリーは鮮やかな光の東京タワーとは対比的に、控えめな光で空に溶け込んでいて、それもまた趣があって、なかなか良い感じです。
足下の商業施設であるソラマチには、7月の休日に一度、訪れましたが、多くの人が来ていてすごい賑わいで、それに連動して浅草近辺も活気に充ちていました。

スカイツリーの夜景を見ていて、光の扱い方というものを、改めて考えさせられました。
通常、建築においても、自然光を効果的に採り込むことはとても大事です。が、もちろん、明るければ何でも良い、というわけではありません。光には輝度、照度、色彩などいろいろな要素があり、バランス良く全体を明るくする光が大事だからです。
さしあたって簡単に言えば、「それを光と意識しないような、柔らか拡散する光が、空間のあちこちに染み込んでいくような状態」こそが、良いのだと言えます。

そう言えば細野透さんという建築ジャーナリストが書いた『東京スカイツリーと東京タワー』という本の中で、「東京の鬼門に建てられたスカイツリーと、裏鬼門に建てられた東京タワー」という記述があって、面白かったです。二つのタワーが、都市の中で偶然にもそうした関係性を持っていたとは、不思議なものですね。

ツリーつながりで言えば、ちょうど現在、国士舘大学世田谷校舎にて、「ツリーズ・スクウェア」というフォリーを作る計画が、南研究室で進行中です。人々が憩い、休む場となる仮設建築を、学内に作る計画です。
9月24日から10月28日まで、校舎内の広場に展示し、公開予定なので、良かったらみなさんご覧に来て下さればと思います。場所は、世田谷区役所の隣です。
春先に、韓国の済州島に行ってきました。リゾート地として知られる南の島で、知り合いの先生や学生たちと一緒に、島のあちこちを巡りました。
その目的のひとつは、建築家・伊丹潤さんの建築作品を訪ねることでした。済州島は「三多」と言って、「風と石と女性」が多いことで知られています。伊丹さんはそれをモチーフとして、「風の美術館」「石の美術館」「水の美術館」という、とても純度の高い美術館三部作を、この地に設計しています。それらを含め、教会やクラブハウスなど、伊丹さんの建築をいろいろと堪能できて、充実した旅になりました。
また、ここは安藤忠雄さんやマリオ・ボッタなど、様々な現代建築家による作品も多数あります。さらに、世界有数の長さを誇る鍾乳洞など、世界自然遺産が多いことも含めて、見所が多く、楽しめました。
なぜか、重力に反して、坂道をボールが自然に駆け上がっていく、謎の坂道もあり、観光名所になっています。
あわびやタラ、カニをはじめとして、海の幸も豊富でおいしく、日本からも近いので、みなさんも機会があれば、是非訪れてみてはいかがでしょうか。

ちなみに僕らは、一緒に行った先生達も含め、観光客相手のセールストークが抜群にうまかったガイドにうまく乗せられて、済州島の民俗村で、「冬虫夏草」というとても高い漢方薬を買わされてしまいました。
それもまた旅の一興ですね。

3月に、奈良に行ってきました。
毎年、大学で行っている、学生を連れての古建築研修旅行です。
奈良の古建築は、2年に一回の割合で訪れていますが、行くたびにいろろな発見と感動があり、建築の素晴らしさを改めて実感します。

今回は法隆寺、東大寺、興福寺といった代表的なお寺と同時に、飛鳥地方に足を運びました。石の造形文化を育んだ飛鳥地方は、また非常におもむきがあり、建築の始まりを強く感じさせる遺跡に充ちていました。聖徳太子が活躍していた頃の、有給の古代ロマンに思いを馳せ、何故となく豊かな気持ちになることができました。
その他、唐招提寺や薬師寺などもめぐり、そのそれぞれの造形に感動。
いつもながらに、日本の古建築の、組み物の複雑さと華麗さに、打たれます。

温故知新、新しさに意識を注ぎつつも、古さの中から学び続けることも、また大事で、奈良の建築群は、現代建築を捉え直す意味でも、多いに刺激を受けることができます。

ただ今回の奈良旅行で残念だったのは、いつも奈良に行くたびに訪れていた、とても雰囲気のある古い喫茶店が、つぶれて、なくなってしまっていたことです。
そこは、商店街の半地下にひっそりとたたずむ、静かな喫茶店で、コーヒーとメザシを一緒に出すので有名な、というちょっと変わった純喫茶でした。その組み合わせが以外にも良くて、気に入っていたのですが、時代はそうした粋なお店を、生きながらえさせては、くれなかったようです。
いつかまた、あの独特の雰囲気を味わえれば、と思うのですが。
昨年の東日本大震災以降、耐震補強や地震対策、リフォーム等についてのご相談を、私たちの事務所でもときどき受けることがあります。時節柄、おそらく、地震対策についてまったく関心のない人は、いらしゃらないのではないかと思います。
耐震診断や補強は、ケースバイケースなので、一括りにすることは、はなかなか難しい側面があります。ただし、これまでいくつかの事例に立ち会ってきた経験から言えば、耐震は一面的に考えるのではなく、総合的な見地から判断し、かつリフォームという側面を併せて計画した方が結果的には良いだろうと思います。

総じて言えば、きわめて安全率の高い形で耐震補強のみを厳密にやるのは、相当なコストがかかります。それで耐震補強をあきらめているケースも、きっと多いと思います。そうした場合には、あまり杓子定規に「すべての場所を完全な形で補強する」というのでなく、全体のバランスを考慮しながら、メリハリをつけて補強し、かつリフォームの要素を取り入れて、前向きな形で補強を行うのが、さしあたってのベストだと考えます。

今ちょうど、以前よりご相談に乗っていた、新しい物件の耐震改修計画が進んでいます。これは、築50年ほどの古い木造住宅に関して、耐震補強とリノベーションの両方を行う計画です。床を一部はがして吹き抜けとし、構造補強をしつつ、明るく開放的な空間へと再生させるアイデアを提案しています。

ここでは、構造の専門家の先生とともに、できるだけ施工の手順を合理化し、簡略化させた新しい工法を開発しているところです。先日、大学で構造実験に立ち会い、予想通り十分な強度が得られていることが確認できました。これが、デザインと耐震補強の両方を視野に入れた、ユニークな工法で、実現すれば、いろいろな応用可能性があるだろうと予測しています。
新しい可能性を目指して、是非、リノベーションによる良い空間と、しっかりした耐震補強の両方を実現できるよう、現在進行中です。
横浜に、つい最近、私たちのアトリエで設計させていただいてた2棟の住宅が同時に竣工しました。いずれも北側敷地で、南側に隣家が迫っているため、通常の日当りを期待するのが難しい敷地でした。お施主さんからは、「敷地の条件がかなり難しいのは承知しているけれど、ここに、何とか日当りの良い住宅空間を実演できないでしょうか」とご相談を受けていました。そこで、自然光の経路を立体的に検討し、光を様々な形で取り入れるアイデアを実現させました。敷地の特徴を注意深く調べた上で、ハイサイドライト(高窓)、トップライト(天窓)、光井戸や中庭、スリットや軒下などをバランス良く配置してアレンジし、組み合わせて、様々な方角から自然光を取り入れ、融合させる空間的工夫をしました。
おかげさまで、ほぼ計算通りに、とても明るく開放的な住宅空間ができあがりました。

横浜の三渓園に、織田有楽が創った「春草蘆」(しゅんそうろ)という茶室があります。この茶室はもともと、九窓亭と呼ばれていたことからも分かるように、多彩な窓があちこちに空けられ、えも言われぬ豊かな空間を生み出しています。敷地が横浜市内であったこともあり、設計の課程ではその九窓亭のイメージを参考にしたりしていました。

それに関連して、ここでお伝えしておきたいのは、北向きの窓の有効性について、です。
日本の場合、一搬的に南面採光がもっとも良いとされているので、北向きの窓と言えばあまり効果がないと思われがちです。が、実は北向きの窓は、採光のバランスを考えた場合、もっとも安定した、おだやかな光を取り込むことが出来ます。光には直接光と拡散光があり、北側からの採光はそのほとんどが拡散光や間接光になるので、まぶしすぎず、暗すぎず、ある意味でちょうど良い明るさとなるからです。(ちなみに、日差しが極度に強い亜熱帯の国などでは、北向きの窓の方が逆に喜ばれたりもします)
直接光を取り込まない北向きの窓をいかに計画し、柔らかく内部へと染み込んでいく光の道をいかにデザインするか。これは、建築を設計する上で、とても大事な要素の一つなのです。
今回の設計でも、そのことを頭に入れながら詳細に検討を重ね、思い通りの明るさを実現することができました。

比喩的な意味も含めて、住まうための空間が明るいことは、日々の生活と気持ちを豊かにしていく上で、もっとも大事な要素のひとつなので、いつも、それを考えながら設計を行っています。
8月に、オーストラリアに行ってきました。向こうはちょうど、冬から春にかけての時期でしたが、カラッと晴れて暖かく、気持ちのいい気候でした。
いつかは行きたいと、ずっと思っていたのですが、なかなか機会がなくて、ようやく実現しました。

一番の目的は、憧れのシドニー・オペラハウスを訪ねることです。
このオペラハウスは、デンマークの建築家であるヨーン・ウッツオンという人がデザインしたもので、世界遺産にも登録されている、とても有名な建築です。
学生時代から、長い間、思い焦がれていたこの建築に対面したときには、感慨深いものがありました。そこで一緒に旅をしていた人たちと、オペラ「ラ・ボエム」を鑑賞し、この贅沢な空間を堪能しました。
シドニーはみんながゆったり生きている感じがして、良い街でした。ボンダイ・ビーチやチャイナ・タウンなど、様々な場所を訪れ、おかげでシドニーの街がかなり分かるようになりました。
そう言えば、かつて作家の村上春樹さんが、シドニーの滞在記を書かれていたのを思い出しました。

シドニーに続いて、メルボルンにも行きました。ここはシドニーとは対比的で、京都や奈良のように、碁盤目状に都市が作られ、その回りにいろいろな施設が計画されています。メルボルンの特徴は、まちなかにカフェが多いことで、少し歩くだけで、至るところに様々なカフェを見つけることができます。
旅中の一日、あえて一人を選んでメルボルンの街を散策し、目に留まったカフェに入ってノンビリしていると、とても落ち着いた気分になりました。

ところで、英誌エコノミストの調査部門がこの8月に発表したランキングよると、世界で最も住みやすい都市のランキング第1位はメルボルンで、シドニーが6位だそうです。
ちなみに東京は18位。一瞬、本当かな、と思いたくなりますが、利便性や治安、文化の多様さやサービスの多さを考慮すると、ある程度、妥当な結果なのかも知れません。
さて、みなさんは、どう思うでしょうか。
住宅を設計する上で、一番大切なことは、何でしょうか。
建築はとても複雑なものなので、この問いに答えるのは、もちろん、そう簡単ではありません。
しかしそれを承知の上で、あえて答えるとするならば、どうでしょうか。

以前、僕は『住居はいかに可能か』という本を、東京大学出版会から出させていただいたことがあります。このときに僕は、「住居とは何か」ということを、ずっと繰り返し、考え続けていました。
そのときには、<新しい可能性としての住居>ということが、大きなテーマとしてありました。

多くの人々にとって、理想の住宅を持つことが「あこがれ」であり、「目標」でもあると思います。一方で、住宅を建てることは、とてつもなくお金がかかり、大変なことなので、一般の方々にとっても、大きな決断と心構えが必要となってきます。

広いリビングや緑あふれる庭、明るい部屋や眺めの良いテラス、使い勝手のいいおしゃれなシステム・キッチンや作り付けの大きな本棚など、家を考え始めることは確かに楽しいものです。それはまるで、旅行に行く前にプランを立てるときのように、関わる人たちをわくわく、ドキドキさせてくれます。

そうしたことも頭に入れた上で、では、住宅の設計で一番大切なことは、何でしょうか。

僕の考えではそれは、「そこに住まう人の知覚と意識を、日々、豊かにしていくこと」だと思っています。
そのためのアイデアと技術を積み重ね、それを豊かな空間へと具現化させることだと思っています。
僕はそれを、「知覚のテクスチュア」という言葉で表現してみました。

少し難しく聞こえるかも知れません。でもこれは、けっして適当に難解な言い回しをしているわけではありません。
人は、何のために、新しい家をたてるのでしょうか。この問いかけに簡単に答えるとすれば、さしあたり「より幸せになるため」と答えても、差し支えはないでしょう。
でも、それぞれの「幸せ」の様態は、とても複雑なものなので、住宅の設計がそのすべてに答えることは、恐らくできません。

私たちがそこでできるのは、その「幸せ」の一つの次元に、空間という形で応えることです。
それが、新しい「知覚のテクスチュア」を探り出そうとすることに、繋がっていくのだと、僕は考えています。

建築系ラジオで、以前、美術家の彦坂尚嘉さんとの対談で、そのことを語ったことがあります。2010年の新年に、「新春の集い」というタイトルで収録したものです。
関心のある方は、是非、聴いてみていただければと思います。


正月明けに、ハウスクエア横浜というところで、茶室についての講演を行ってきました。ハウスクエア横浜は、いろんな会社がモデルハウスを出している住宅総合展示場です。そこで段ボール茶室が展示されたことに関連して、「茶室空間の可能性」と題して、基調講演の依頼をいただいたためです。
展示された段ボール茶室は、もともと故・山田幸司さんという伝説的な建築家が、大学の研究室で製作したもので、織田有楽斎による国宝・如庵を、段ボールによって原寸大で再現したものです。

この企画は2年ほど前に、椙山女学園大学の村上心研究室、大同大学の山田幸司研究室、および国士舘大学の南泰裕研究室の3研究室で、3つの国宝茶室を段ボールで作ろう、というところからスタートしました。如庵、待庵、密庵の3大茶室を、それぞれの研究室に割り振り、原寸大で作って、競演展示しようというアイデアです。
とても残念なことに、山田さんが2009年に不慮の事故で亡くなられ、その企画自体は流れてしまいました。が、山田さんが名古屋で作ったダンボール茶室は残りました。そしてそれが、有志の建築家や学生たちによって横浜に移築され、展示されたわけです。
これが、今見てもすごい迫力で、会場に見に来られた方々は、一様に感嘆の声を挙げていました。

そして嬉しいことに、とあるお茶の団体が「この茶室はとても良くできているので、是非引き取りたい」と言って下さって、改めて、別の場所でも展示されることになりました。
極小空間としての茶室は、もともと、移築再生が容易な建築でもあります。なのでこの段ボール茶室が、移動を繰り返しながら生き続けていることは、茶室本来のあり方を、十分に示しているとも言えます。

小さな構築物の、こうした軌跡に立ち会うだけでも、建築というのは、本当に面白いものだなあ、と改めて思います。
今後もまた、是非こうした面白い企画をやれたらと、海外で段ボール茶室を作ったり、学生や大学間交流によるワークショップを通して、いろいろな製作物を作ることなどを、少しずつ、考えて始めているところです。
アメリカの建築家であるフランク・ロイド・ライトは、早くから韓国のオンドルに着目し、その有効性について語っています。
オンドルはもともと、朝鮮半島や中国の一部で考案され、使われてきた床下暖房システムです。これは、台所で調理する際に出てくる暖かい煙を床下に通し、それによって部屋を暖房するアイデアです。韓国に旅行した際、僕も何度かオンドルのある旅館や住宅に泊まったことがありますが、その効果は抜群でした。

これは、現在の床暖房の、はしりのようなものと言えます。床暖房は、定義としては「輻射暖房」と呼ばれるもので、床面から徐々に上部へと暖気が伝わり、自然の力によって暖気は上昇していきます。なのでこれは、いわば間接暖房のような、柔らかくおだやかな暖房のため、世代を超えて体も受け付けやすく、吹き抜けがある空間などにも有効です。
建築に、過度な暖房設備を組み込む必要はありません。が、条件や空間に応じて床暖房を採用することは、文字通り縁の下の力として、「建築の暖かさ」を作り出してくれます。

ちなみにライトが床暖房に注目したのは、1914年の日本にて、大倉男爵という、とある支援者の住宅を訪れたことがきっかけでした。この男爵の家ににしつらえられた「朝鮮の間」に、オンドルが設置されていたのを体験し、彼はいたく感動します。そこでライトはまず、自らが東京に設計していた帝国ホテルの一部に、そのアイデアを応用しています。その後、1937年にジェイコブス邸という住宅において、初めて一般住宅に床暖房を応用することになります。
今となってはごく一般的な床暖房ですが、当時においては、画期的なことでした。

(Y.M.)